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履物 Footwear/Calçados/Calzado

農耕を背景に、住居のかたち、時には作法や制度に至るまで、
日本の履物には、湿潤な風土にはぐくまれた特徴や工夫を見ることができます。
狩猟採集時代の日本人は裸足で生活してきたと考えられていますが、
中国から稲作農業が伝わった弥生時代に、農具として田下駄が広まりました。
奈良時代には唐の影響から貴族の装いに足全体を覆う被甲履物が用いられ始めました。
遣唐使が廃止された平安時代になると、履物が日本仕様へと進化していきます。
貴族に代わって武家が台頭にする鎌倉時代には、動きやすい鼻緒履物が広まり、
その後、履物を履く風習は徐々に大衆化し、町民の活動が盛んになる江戸時代には
職業の違いや文化の影響により、履物のかたちが細分化していきました。
つまり、農作業、衛生管理や健康、運動機能、文化の深化などの要因で、
知恵や工夫が累々と重ねられ、日本の履物は独自の発展を遂げてきたのです。

靴脱ぎ

日本家屋の床下は通風を考えて座敷が高くつくられるため、座敷と土間には段差が必然的に生じ、この段差が内外を峻別する境界となりました。この内外の境界によって、室内を汚さぬよう履物を脱いで座敷に上がる習慣、すなわち「靴脱ぎ」が生まれたと考えられます。土間から座敷へと上がる一段高い板敷き(横木)を「上がり框」といいます。これは、靴を脱ぎ置く「沓脱石」や、上がり框が高い場合に中間のステップとして設けられる「式台」とともに、人々を迎え入れるもてなしの空間としても機能しています。

  • 履物を脱いで板の間に上がる僧侶
  • 上がり框と沓脱石
  • 上がり框と式台
  • 履物を脱いで板の間に上がる僧侶
    慕帰絵詞 西本願寺所蔵

  • 上がり框と沓脱石 | 脱いだ履物を置いたり、土足で踏み台として用いる。

  • 上がり框と式台 | 内外の明快な区分けとなっている。

室内の履物

中世において、身分の高い人物は室内履きを用いていました。その中のひとつ「上草履」が室町時代初期の『慕帰絵詞』に描かれています。絵の中で、板の間で履かれていた上草履が畳の間では脱がれていることから、畳の間は板の間よりも清浄さの度合いが高いことが窺えます。現代の室内履き(スリッパ)も同様、畳の間では使わず、板の間や手洗いなどで用いられます。学校では、下駄箱で下足から上履きへと履き替えることが一般的です。つまり、履物の交換により内外を峻別する意識は、日本人の感覚に深く根付いているのです。

  • 上草履
  • 旅館のスリッパ
  • 上履き
  • 上草履 | 外間から畳に上がるまでの板間で使用する。
    慕帰絵詞 西本願寺所蔵

  • 旅館のスリッパ | 玄関から畳に上がるまでの板間で使用する。

  • 上履き | 日本の学生は構内で過ごす上で全員同じ室内履きを使用する。
    写真:伊藤彰浩

親指と鼻緒履物

水田農耕が生活の主流であった日本においては、泥田での作業の多くは、田下駄などの農具を除き、裸足で行われることがほとんどでした。古代水田遺構から発掘された初期弥生人の足の親指は現代人と比べて大きく、水田作業の際に裸足で踏ん張るため、親指の筋肉がそのように発達したと考えられています。この裸足の踏ん張りを生かした履物が、親指とその他の指を分けて履く「鼻緒履物」であり、足袋や地下足袋の起源も同様と考えられます。裸足で過ごすことが多かった日本人にとって、親指は重要な足の力点だったのです。

  • 草鞋と足袋
  • 地下足袋
  • 下駄と足袋(阿波踊りの衣装)
  • 草鞋と足袋
    提供:PIXTA

  • 地下足袋
    提供:PIXTA

  • 下駄と足袋(阿波踊りの衣装)
    提供:PIXTA

下駄づくりの合理性

下駄は元々農具として使われていましたが、江戸時代に入ると日常の履物として庶民へ広く浸透していきます。下駄づくりはまず、ひとつの丸太を分割するところから始まります。その後さらに小さく裁断された木片を、下駄の二本の歯の形に合わせて糸鋸で二つに切り分けます。これは素材を無駄にしない効率的な切り抜き方であり、明治以降には機械の導入が下駄づくりの効率化を助け、さらに多くの人々の元へ行き渡りました。

和履物の系統

日本の伝統的な履物の特徴は大きく2つに分類できます。足全体を覆う被甲履物、足の甲が露出している鼻緒履物です。被甲履物は貴族の装いとして存在していましたが、庶民の間では長時間の歩行や雪深い地域における足の保護として用いられ、足袋や雪沓はその代表例だと考えられています。鼻緒履物は主に稲の副産物である藁を材料につくられました。また通気性の良い素材や構造であるため、水虫などの病防止にも繋がっていたと考えられます。いずれの履物も湿潤な日本の風土を基盤に、足の健康を守るかたちであったことが分かります。

  • 鼻緒履物 大足
  • 被甲履物 ケタビ
  • 鼻緒履物 塩田下駄
  • 被甲履物 雪沓・フカグツ
  • 鼻緒履物 輪カンジキ
  • 鼻緒履物 花嫁下駄
  • 被甲履物 磯足袋
  • 被甲履物 ツノコゾウリ
  • 鼻緒履物+被甲履物 箱下駄

和履物の発展系

和履物は、時代と共に移り変わる暮らしや文化の中で、多様に発展しています。日本にマラソン用シューズがなかった明治時代、日本人初のオリンピックマラソン選手は足袋で参加するも、クッション不足で膝を痛める結果に。以降改良が進み、底にゴムを施した走行用の足袋が開発され、世界大会で二度も選手を優勝へと導きました。また、歌手のレディ・ガガが愛用するなど奇抜なデザインで支持を集める「ヒールレスシューズ」は、花魁などが履いていた下駄が原型。和履物は伝統的な形を保ちながら、新たな用途や素材と融合し、時代に即した道具として発展を続けています。

  • マラソン足袋 | ハリマヤ
  • 底にゴムを施した靴型のマラソン足袋 | ハリマヤ
  • ヒールレスシューズ | 舘鼻則孝
  • ぽっくり下駄 | 舞妓や半玉、花魁や太夫につく「かむろ」の履き物。
  • 下駄サンダル | うらつか工房×BEAMS
  • マラソン足袋 | ハリマヤ
    明治時代に日本人で初めてオリンピックマラソンに参加した・金栗四三選手(画像・左)が
    「ハリヤマ」と共同制作し、ゴム底を施した「金栗足袋」(画像・右)。

  • 底にゴムを施した靴型のマラソン足袋 | ハリマヤ
    ボストンマラソン(1951年)では山田敬蔵選手を優勝へと導いた。

  • ヒールレスシューズ | 舘鼻則孝
    江戸時代の花魁が履いていた「ぽっくり下駄」から着想を得て制作された。

  • ぽっくり下駄 | 舞妓や半玉、花魁や太夫につく「かむろ」の履き物。
    足全体が高く上がった重みのある厚底で、摺り足で歩く。
    危うげな足元によって女性たちを浮世離れした存在として演出していた。 

  • 下駄サンダル | うらつか工房×BEAMS
    昭和24年創業の日田下駄メーカーとBEAMSが共同製作した下駄サンダル。
    履き心地に考慮した木綿生地の鼻緒と滑らかな肌触りのヒノキに、高性能ソールを組み合わせている。