盆栽以前
古来からある、土や石、苔、草木などを盆の上に配し、縮小した自然風景をつくる文化が、盆栽の起源と言われています。平安時代に中国から日本に伝来し、鎌倉~室町時代にかけて、鉢に植物を植える「鉢の木」や「鉢植え」、石を中心に山水景を表現する造形物「盆山」が、貴族や武士、僧たちの間で楽しまれるようになりました。江戸時代になると、武家屋敷や寺社境内の庭づくりを担う植木屋の庭に庶民も遊びに行くようになります。鉢に草木を植える園芸は、上流階級だけでなく庶民にも手が届く趣味になっていきました。
植物そのものを鑑賞するだけの鉢植えに対し、
盆栽とは、人間が日々手をいれ、時間をかけて
自然の情景をつくり上げていく芸術です。
作り手が植物の本質を理解せずに育てれば、草木は衰えます。
一方、放っておいても、植物は奔放に育ち、理想の樹形には近づきません。
たとえ、美しい造形の盆栽に仕上げたとしても、
その姿を維持するためには、人間の手を介す必要があります。
つまり、盆栽とは「完成」のない、常に自然と対峙する造作であり、
庭と同じく、人為と自然のせめぎあいと言えるでしょう。
盆栽という文化には、盆器という小さな空間に広大な自然を見出す、
日本人の自然観や美意識が現れています。
盆栽以前
古来からある、土や石、苔、草木などを盆の上に配し、縮小した自然風景をつくる文化が、盆栽の起源と言われています。平安時代に中国から日本に伝来し、鎌倉~室町時代にかけて、鉢に植物を植える「鉢の木」や「鉢植え」、石を中心に山水景を表現する造形物「盆山」が、貴族や武士、僧たちの間で楽しまれるようになりました。江戸時代になると、武家屋敷や寺社境内の庭づくりを担う植木屋の庭に庶民も遊びに行くようになります。鉢に草木を植える園芸は、上流階級だけでなく庶民にも手が届く趣味になっていきました。
盆栽の誕生
園芸文化が隆盛した江戸時代、庶民に愛された鉢植えの作り方は、木の幹や枝を曲げ、古木の姿を形づくる「作り松」が主流となります。一方、文人たちの間では、煎茶会が盛んに催されていました。それまで床の間にあまりあげられなかった鉢植えが、茶の席の座敷飾りの道具として扱われ、それらの多くは文人たちに好まれた山水画に描かれたような樹形で、「文人木」と呼ばれました。明治時代に入り、日清戦争の影響で煎茶文化が衰退する中、愛好家たちは「文人木」や「作り松」以外の樹形を追求しはじめ、ついに言葉とともに「盆栽」が文化として誕生します。
盆栽園
明治時代、政治家や実業家たちにとって、盆栽を嗜むことは自身のステータスの証にもなりました。そんな政財界の要人の家に出入りする植木屋から、盆栽を専業とする「盆栽園」が登場します。関東大震災を機に、江戸の盆栽園が集団移転して誕生した大宮盆栽村をはじめ、松の生産の国内約8割を占める高松市など、日本各地に盆栽園が広がっていきました。また、埼玉県羽生市にある森前誠二氏が創設した雨竹亭や、京都府の大徳寺に2021年に開園した芳春院盆栽庭園、長野県小布施町の鈴木伸二氏のアトリエなど、作家自身が運営する盆栽園もあります。
松柏と雑木
盆栽の種類は「松柏」と「雑木」の二つに分けられます。盆栽の代表格が、常に緑色の葉を繁らせる針葉樹です。その中でも特に愛されてきた「松」と「真柏」の二つを合わせて「松柏」と呼びます。一方、季節ごとに変化を見せる「雑木」。青葉から紅葉へ色を変えるモミジなどの「葉もの盆栽」や、花を楽しむフジなどの「花もの盆栽」、果実を実らせるカリンなどの「実もの盆栽」があります。
樹形の分類
幹の数や向きなど、樹形によって盆栽は分類されます。切り立った崖から垂れ下がり、自然の厳しさに耐える姿に仕立てた「懸崖」のように、樹形とは、雨や雪、風など、長年の環境変化に耐えながらも適応していく樹木の姿を、人間の手を介して模した型とも言えます。
盆栽の見所
盆器の中に凝縮された大自然の情景は、盆栽全体の造作からだけでなく、根、幹、枝、葉によってもつくられます。歳月を重ねた根の張り具合や、根元から最初の枝までの幹の立ち上がり、盆栽の輪郭を形づくる枝ぶり、幹とともに盆栽の印象を左右する葉の姿など、盆栽を構成する要素は見所の一つでもあり、自然界を想像させる一端を担っています。
BONSAIへ
現在、日本の盆栽は世界から注目され、外国人の団体客、愛好家、世界各国の国賓までもが、盆栽を見に日本へ訪れています。第8回世界盆栽大会では、世界40ヵ国以上から約12万人が来場しました。そんな日本の盆栽文化は、先人たちが築いた伝統を洗練させていく一方で、クリエイターのユニークな発想を介して、より親しみやすい文化へと開かれ始めています。