食品サンプルの前身
食品サンプルは大正末期から昭和初期にかけて誕生し、当時は「料理模型」と呼ばれていました。この料理模型が広く認知されたのは、大正12年11月1日に開店した百貨店・白木屋日本橋本店仮店舗での陳列がきっかけと考えられています。料理の見本を置き、それを見て該当の食券を購入するという注文方法でオーダーの効率化を図った結果、食堂の回転率が向上し、売り上げは従来の4 倍となったのです。以降、食券と料理模型は飲食店で広く普及していくことになります。
世界各国の飲食店で、料理の絵や実物を見本として置くことは数あれど、
本物そっくりの造形物を店頭に並べてメニューを訴求する光景はあまりみられません。
この食品サンプル文化は、日本でひっそりと生まれ、独自に発展してきました。
アジア圏ではわずかに受け入れられつつある食品サンプルですが、
ヨーロッパ諸国においては全くと言っていいほど浸透していません。
この理由については未だ明らかになっていないものの、
同じく日本由来であるピクトグラムや絵文字からも読み取れるような、
情報を視覚的に判別する日本人の性質が由来しているのかもしれません。
そんな謎めいた存在である食品サンプルですが、歴史を紐解いてみると、
華やかでユニークな見た目の奥底に隠れた、堅実な実用性が見えてきます。
食品サンプルの前身
食品サンプルは大正末期から昭和初期にかけて誕生し、当時は「料理模型」と呼ばれていました。この料理模型が広く認知されたのは、大正12年11月1日に開店した百貨店・白木屋日本橋本店仮店舗での陳列がきっかけと考えられています。料理の見本を置き、それを見て該当の食券を購入するという注文方法でオーダーの効率化を図った結果、食堂の回転率が向上し、売り上げは従来の4 倍となったのです。以降、食券と料理模型は飲食店で広く普及していくことになります。
表現の変遷
料理模型は現代の食品サンプルよりも再現性の低いものでした。この頃、ある青年が料理模型を偶然目にします。幼少期に蝋を細工して遊ぶことが好きだった彼は、蝋や寒天での型採り検証を重ね、細かい皺まで写した精巧な料理模型をつくり出します。以降この方法は主流化、食品サンプルの品質を大きく押し上げることになりました。素材は基本的に蝋でしたが、材質が脆くライトの熱で溶けるため、近年は丈夫なプラスチック樹脂が用いられ、表現の幅はさらに広がっています。
工程
食品サンプルの基本的な製作工程は、型採り、成形、着色、盛り付けの4工程に分けられます。これらの工程はほぼ手作業で、食品サンプルが主に受注生産であることが由来しています。例えば、同じカレーライスでも米やルーの量、色味や具材は店によって異なります。メニューの個性を正しく再現するには、型や素材を流用する訳にはいかず、大量生産は難しいため、工程のほとんどが手作業となるのです。
ディスプレイ
洋食文化が日本で盛り上がり始めた戦後、食品サンプルは単なる見本や、オーダー効率化目的に限らず、消費者に向けた商品訴求の役割も担っていきます。サンプルの設置率が特に高かった喫茶店では、外国由来の華やかでおしゃれな洋食メニューを視覚的にアピールするため、多くの店で食品サンプルが用いられました。食品サンプルの設置は徐々に一般化し、ディスプレイにも様々な工夫が施されるようになります。
食品サンプルが生むカオス
食品サンプルは近年、アートや雑貨の領域にも進出しています。調理のダイナミックな瞬間を切り取ったり、現実にはありえない状況をつくり出したりと表現は様々で、本物そっくりの食品サンプルによってコラージュ写真のようにシュールな光景が生み出されています。大正時代から続いてきたメニュー訴求の枠を超え、日本の新たな芸術表現として歩みを進めていると言えるかもしれません。